例年だといわゆるクリスマス寒波がやってきて雪景色になることが多いのですが、今冬はまだ暖かく、今日は晴天でした。思い立ってダイニングキッチンのワックスがけをしました。かなり広いですから少々手抜きでも結構時間がかかります。雪に閉ざされることの多かった子どものころは、年末の大掃除というのがピンと来ませんでした。お天気のよい日曜日に家族総出で大掃除をしたのは、春だったでしょうか。家中の畳を上げて陽に干し、湿気取りに敷いてあった新聞紙を取り替える。「三丁目の夕日」に出てきそうな風景ですね。
サンデースポーツの録画できなかった最初の部分をようやく見ることができました。深夜の関東地方限定の「東京六大学野球物語」も映像は無理ながらその内容を知ることができました。全国一律放送ばかりではなく、地方の実情や需要に応じて番組が編成されるのはしかたのないことですが、見たい番組の情報があっても見ることができないのは悲しいものがあります。デジタル放送に移行するならば、そうした地方限定番組もBSやCSで見ることができるようになればいいのにと思います。関西の阪神タイガース関連番組が見たいためにスカイパーフェクトTVに入った人間(私のことですが)もいますから、見たい番組を選択できるなら有料TVも悪くはないかな、と。
で、サンデースポーツの特集感想、第2弾です。
一番印象に残ったのは、「高校生の斎藤佑樹にできたのに、大学生の斎藤佑樹にできないことが悔しい」という言葉でした。負けず嫌い炸裂です。
よく「夏の甲子園優勝投手は大成しない」と言われるのは、この辺りにあるのでしょう。あの甲子園の雰囲気は思いもかけない力を引き出すような気がします。またそれができたチームが優勝するのでしょう。そして、たいていは光り輝く最高だったときの自分の投球を追い求め、それが見果てぬ夢になってしまうように思います。
ましてや球史に残る決勝戦・決勝戦再試合を戦い抜き勝利したのです。鳥肌の立つようなすばらしい投球でした。ただ斎藤君が自分の能力以上の投球をしたわけではないのは、大学で自分の思うような投球ができなくても、試合を作り好成績を上げていることからも明らかです。
今年の甲子園大会前のインタビューで、高校野球での「ライバルは自分」だった、と答えていました。また、去年は「甲子園には魔物がいるとよく言われるが、魔物は甲子園にはいない。自分の心の中にいる。春(の選抜大会)はそれをうまく操れなかった。」といった趣旨のことを話していました。何かの頂点に立とうとする子は考えていることも大人びてすごいなあ、と思ったものでした。マスコミはいつでもライバルを探して煽ろうとしますが、斎藤君自身はライバルの存在にこだわりはないように思います。たぶん、「ライバルは(高校生の斎藤佑樹を含む)自分」なのだからと勝手に解釈しています。
斎藤君のすばらしい特性のひとつに「自分を客観視できること」があります。「高校生の斎藤佑樹」と「大学生の斎藤佑樹」を見ている「斎藤佑樹」という存在がそれです。有言実行で結果を出してきました。これからもまた、口にしたことはきっと成し遂げるであろう、という期待感を抱かせてくれます。どのような「斎藤佑樹」を見せてくれるのか、2年目のシーズンが楽しみな言葉でした。
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